Friday, June 1, 2007

デジタルな闇の明るみ

デジタルカメラやプリンターの性能の向上はすさまじく、初期にはひどくだらしない画像しか撮れなかったものが、いまでは素人目には銀塩フィルムの写真と区別がつかないほどになった。実際、フィルムで撮影している写真家が、大きく引き延ばしたプリントを作るときには、デジタルにスキャンしてプリントするのだという話を、すでに2、3年まえに聞いたことがあった。肉眼では見分けがつかない微細さが、とっくに実現されているということだろう。

それはそれでいい。だが一方で、荒木経惟さんがこんなふうに語っているのを新聞で読んだ(「朝日新聞」夕刊5月31日)。

「最近はさ、週刊誌に出てくる女の子がみんなお人形さんみたい。きれいというのは魅力的とは違うんだ。デジタルになって、修正技術も良くなったでしょ。実際はあんなきれいな人なんていませんよ。でもそれは整形手術のようなもんだ。/デジタルカメラも使わないこともないけど、たとえば闇がきれいに撮れる。闇は闇の方がいいのにさ。ほら、秘すれば花っていうだろ。オレの場合はそこを広げて撮っちゃってるけどね。『67 反撃』はデジタルへの反撃でもある。」

他のどんな写真家よりも「触覚」を感じさせる荒木さんがそういうと、こっちも耳をそばだてる。デジタルカメラが、これまでには表現しえなかった微光をきちんと捉えることは、多くの人が指摘してきた。夜明けの光、蝋燭の灯り。だが、ここでは、むしろ、<鈍さ>が肯定され、過ぎ去ろうとしている(?)テクノロジーが賞揚されている。

正直なところ、フィルム写真とデジタル写真は、どんどん見分けがつかなくなりつつある。デジタル技術固有の問題は、たぶん画像の鮮やかさ、発色、輪郭といったことばには、もう関わらない。けれどもリタッチされた画像が、もともとの「触覚」の領域にある画像を超えて、われわれの「現実」感覚に微妙な影響を及ぼさないとはいえないだろう。

画像のデジタル処理により、だれかが「完璧な卵形」を実現した。人々はそれを見て、「これぞ卵だ!」と思った。ところが現実に自分が食べる卵は、どこかいびつにゆがんだ不完全な卵ばかり。人々はゆで卵を見るにしのびなく、すべての卵はオムレツになった、とか。

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