Saturday, June 9, 2007

ヒップホップ再論

明治大学リバティー・アカデミー(一般向け公開講座)のシリーズ「世界文化の旅・アフリカ編」の第3回の講師として、お茶の水のアカデミー・コモンで話をした。

https://academy.meiji.jp/shop/commodity_param/ctc/20/shc/0/cmc/07120007/backURL/+shop+main


それぞれに独特なセンスの持ち主である、必ずしも「アフリカ研究者」ではない6人によるシリーズ。講師全員が毎回集まり、思いがけない展開に介入し、議論する。興味深い、聞いたこともない話がどんどん飛び出して、きわめて刺激的な場だ。

ぼくは1980年代初頭のアメリカ、留学先だったアラバマ州とニューヨークで体験した、創成期のヒップホップ文化の話からはじめた。グラフィティ・アートのキース・ヘリングとジャン=ミシェル・バスキアは、ぼくと完全に同世代。特にバスキアの絵は大好きで、いまでもよく画集を見る。

それからデビュー前のキース・ヘリングに衝撃を与えたタンザニアの画家ジョージ・リランガを見る。ついで当時のブレイク・ダンスを見て、その動きをやはり80年代のセネガルのストリートダンスと比較した。それから西アフリカ起源の動きがハイチのヴォドゥの儀礼ではどうなっているかを、ロシア生まれの天才的実験映画作家マヤ・デーレンが残したフィルムから見た。ひとことでいうと、旋回と足のシャッフルで組み立てるヴォドゥ系の動き(ブラジルのカンドンブレもこの系統)に対して、セネガルのダンスのすさまじい躍動感はなんの共通点もない。ところがブレイク・ダンスには、すべてがある。

そこで話を言語芸術に転じ、ラップの中でも「フリースタイル」と呼ばれる即興的な言語バトルの例を見る。踊りも、言葉のゲームも、たしかに「アフリカ」なのだが、どうにもその起源はたどりがたい。ただし、みんなが環になっている中でひとりずつが目一杯見せ場を作りながら踊るというスタイル(リング・ダンス)はすべてに共通。そしてパフォーマーと聴衆とのあいだに見られるかけあい(コール・アンド・リスポンス)も、たしかにアフリカ的だといっていいだろう。

最後に、カリブ海グアドループの小説家シモーヌ・シュバルツ=バールの作品を手がかりに「奴隷制という傷」にふれ、マルチニックのジョゼフ・ゾベルの原作をユーザン・パルシーが映画化した記念碑的傑作『マルチニックの少年』での老人から少年への記憶の伝承の場面にふれて、おしまい。以後、いくつかの質疑応答で、またたくまに90分は過ぎた。最後に残ったのは、こうした話題ではいつものことながら「ヨーロッパは過去五百年、世界に対していかにひどいことをしてきたのか」という気持ちだ。

終了後、みんなで談笑。こういう時間がいちばん楽しい。ぼくは「アフリカ」や「アフリカ系文化」を直接の研究対象にしたことはないものの、結局過去30年近く、アフロ・アメリカ系文化と完全に平行するかたちで生きてきたなあと思う。この分野でも、まだまだ知りたいこと、考えたいことがたくさんある。

家に帰るとアフリカン・アメリカ文化研究の第一人者である荒このみさんの新著『歌姫あるいは闘士 ジョセフィン・ベイカー』(講談社)が届いていた。これでまたひとつ、「アフリカ的なもの」が押し寄せてきた!

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