Tuesday, June 12, 2007

Cobra Verde (1987)

土曜日。明治大学秋葉原サテライトキャンパスで「ワールドシネマ研究会」の第1回を開催した。

世界映画のいろいろな作品、特に文化間の葛藤を描いたり、小さな民族集団や小さな言語に焦点をあてたりする作品について、自由な議論をくりひろげる場。作品がフィクションかドキュメンタリーかは問わない。どちらでも、自分ひとりではとても気づかなかったような細部が、仲間たちの指摘でくっきりと見えてきて、発見は大きい。

この会は作家の旦敬介さん(明治大学法学部准教授)との共催。旦さん自身、イギリス、東アフリカ、ブラジルでの生活経験が長く、通常の「日本人」とはぜんぜんちがった角度から世界を見ている人だ。

第1回ではドイツの映画監督ヴェルナー・ヘルツォークの『コブラ・ヴェルデ』(1987年)を取り上げた。ブラジル北東部の冷血きわまりない山賊が、砂糖黍農園主に拾われ、その三人の娘たちを妊娠させ、厄介払いとして奴隷の買い付けのためにアフリカに送りこまれる。ここで奴隷貿易にたずさわる黒人王国の権力争いのせいで、新国王の義兄弟、「副王」に任じられる。ところがそうこうするうちにブラジルでも奴隷制が廃止され(これは1888年のこと)、ブラジルにあるはずの財産はすべて奪われ、彼は海岸で野たれ死に。運命に翻弄された男の、さびしい末路だった。

だが映像はすごい。たしかめようのない歴史上の風景を、監督のすさまじいばかりの想像力が再構成してくれる。筆舌につくしがたいヨーロッパの暴力が、光と色彩にみちた豪奢な場面となって、目のまえで展開する。歴史観(それはイメージにすぎないが)を変えてくれるような作品だ。

おもしろいことに、幼くして父親に捨てられ母親と暮らしてきたヘルツォークが13歳のとき、たまたまアパートに同居することになったのが魁偉な風貌の俳優クラウス・キンスキーだった。13歳の少年は、このとき映画監督になることを決め、キンスキーを使って作品を撮影すると決めたのだという。実際、ヘルツォーク=キンスキーは5本の強烈な作品を残した。『コブラ・ヴェルデ』(緑の毒蛇)は、その最後の1本だった。

原作はイギリスの小説家ブルース・チャトウィンの『ウィダの副王』。チャトウィンとはヘルツォークは親友で、すさまじい旅行家として知られたチャトウィンの愛用のリュックサックは、遺品として死の床のチャトウィンからヘルツォークに与えられた。

ふたりはおなじ1942年生まれだった。どちらも、世間の基準からいえば、奇人を通りこして狂人。でもその狂人どうしの友情を思うと、ぼくなんかはついホロリとする。ヘルツォークについては今後も何度か、ここで取り上げようと思う。

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