Saturday, June 2, 2007

ダンスのほうへ

土曜日、ディジタルコンテンツ学研究会の第2回を秋葉原ダイビルで開催した。今回のゲストはパフォーミング・アーツのプロデューサーである前田圭蔵さん(カンバセーション)で、1982年を大きな転回点とする音楽のデジタル化を中心に、大変に興味深いお話をたくさんうかがうことができた。いつものメンバーに加えて、「音楽文化論」の授業を担当していただく陣野俊史さんも参加。

1982年、それはデジタル・シンセサイザー、ヤマハDX7の発表の年。早速、イエロー・マジック・オーケストラがそれをアナログ・シンセサイザーと併用しはじめ、他にもいろいろな人々が使うようになった。ぼくらにとってはリアルタイムで通過してきた昨日だが、学生のみんなにとっては自分が生まれる前のできごと。思えば遠くへ来たもんだ。

記録メディアの変化としては、カセットテープと並んでデジタル・オーディオテープ(ダット)が登場し、またCDがもっとも普通の音楽の流通形態となった。その後もアナログとデジタルの併存で音楽産業は進んできたが、一時は「消滅する」と思われていたアナログ・レコードが、まもなく再評価されるようになる。ひとつには、その周波数帯の広さのせいで、だんぜん音がいいから! もうひとつには、ターンテーブルを使用するDJのスタイルが、90年代にひろまったから。つまり、流通形態を規定し一本化しようとする産業に対して、受け手の側が「ちょっと待て、古いものといってもその生命は終わらない」といいはじめたわけだろう。

前田さんの指摘でおもしろかったのは、次のことば。「クリーンなサウンドとアンクリーンなサウンドはつねに拮抗して発展してきた」。平均律による西洋音階は、明らかにクリーンなものを希求する方向性にあり、純化をめざす意志をもっていた。ところがなぜか世界の他の地域ではペンタトニック(5音階)が基本で、なんとなく自然にそうなっているのだそうだ。きちんとした配分に立つ、整然とした音階ではなく、ゆれ動き上下し周囲と呼応しながら生まれてくる旋律、ということだろうか。西洋(西欧)の秩序や建築への志向も考えさせられる。

また前田さんはダンスに深い関心をもち、いくつもの重要な公演をプロデュースされてきたが、ダンスを音とパラレルに考えている。「体というだれでももっているものによる表現に惹かれる」ということばに、深くうなずいた。人間のからだはスーパーアナログコンテンツなんだ、と前田さんはいう。舞踊の発生そのものが、おそらくヒトが目にした自然物の動きへの同調、類推(アナロジー)に立つ身振りだったことを思えば、これはまさにそう。

それからいくつかのパフォーマンスのビデオを、部分的に見せていただいた。モントリオールのラララヒューマンステップスによる「アメリア」。限界的な超高速で動くダンサーに息を呑む。これは舞台作品を、コレオグラファーのエドゥアール・ロック自身が映像作品に仕立てたもの。ルー・リードのI'm Waiting for the Manをすごくへんなアレンジで歌っているのを使っていたみたい(要確認)。

前田さんの指摘どおり、映像化されることで、実舞台では見ることのできない距離から、しかもいくつもの視点を渡り歩きながら見ることができる。ダンスといえば臨場感がすべて(だってミラー・ニューロンの発火の頻度がちがう)だと思いたくなるが、舞台の一断面にすぎないような映像作品にも、それでなければ見えてこないことはたくさんある。

もうひとつ、ブリュッセルを本拠地とするローザスの「トップショット」には感動した。スティーヴ・ライヒの曲「ヴァイオリン・フェイズ」を使い、床にしいた砂の上で回転の多い動きで踊る女性(アンヌ・テレーサ・デ・キースマイケル)のソロを頭上から撮影。これは実舞台ではありえない視点だ。彼女の動きにつれ、床にはその軌跡が環を描き、さらに環を十字に分割してゆく。すばらしい、すばらしい作品。ぽかんと口をあけて見とれてしまう。あまりにいいと思ったので、家に帰って最初にしたのはローザスのDVDを注文することだった! こうした映像作品が手頃な価格で流通するには、もちろんデジタル技術が全面的に関わっていて、これはたしかに便利。おととし東京都写真美術館でローザス展があったそうだが、そんなことも知らなかったとはいったいぼくは何をしていたんだろう。あ、日本にいなかったか。

スティーヴ・ライヒの音楽もCDを2、3枚はもっているはずだが手元にないため、ユーチューブで検索。すると「名古屋ギターズ」というギター2本の作品が出てきた。エレクトリックギター2本のものもおもしろいが、スウェーデンのザ・ゴーテンブルク・コンボというデュオがアクースティックギター2本で演奏しているものがすばらしい。また「クラッピング・ミュージック」もいくつか出てきた。拍手だけで「演奏」している男女のグループ、床にぶつけるボールの音で演奏しているジャグラーのグループ、それぞれにおもしろいが、イヴリン・グレニーという女性のソロパフォーマンスが群を抜いてすばらしい。

こんな映像が自分の部屋で瞬時に見られるんだから、ユーチューブはアナーキックだ。今回の前田さんのお話で改めて思ったのは、どんなテクノロジーもそれが生まれると、ただちにそれを使って「実験」的な「創作」にむかう人がいるということ。アーティストって、すさまじいやつらだ。世間に一般化する何年前なんて、いうのもむなしくなる人がごろごろいる。逆にいえば、これだけいたるところで連結の火花が散る環境が現実になって、「実験」にも「創造」にも世界の「想像」にもむかわずにすませることは、できない。想像、再想像、差異の想像、再創造へ。

さまざまな分野のアーティストたちからの刺激を媒介してくれる前田さんに、あらためて感謝したい。さあ、こっちも何かやろう。どんなレベルの技術や身体を使うにせよ、「実験」はいつも可能だ。次回のディジタルコンテンツ学研究会は6月30日(土)を予定している。

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