Sunday, June 3, 2007

インターネットと利他主義

『バカの壁』という大ベストセラーで知られる解剖学者の養老孟司さんのお名前をはじめて知ったのは、20年あまり前のこと。当時ぼくが編集部でアルバイトをしていた、「エピステーメー」というすさまじい思想雑誌に寄せられていたミシェル・フーコーをめぐるエッセーでのことだった。彼が異常なまでの読書家であることはすぐ明らかになり、その平易ですさまじい速度のある思考=文体のおもしろさも、基本的にはそのころから変わっていない。洒脱といっても軽妙といっても微妙にちがうが、ぞっとするほどの深みが、ともかく何の飾り気もなく、惜しみなく提示される。変わった人物だ。

さて、その養老さんの新著『小説を読みながら考えた』(双葉社)に、こんなエピソードが紹介されている。

「人より先に情報を手に入れること、それが重要になったのがいわゆる『近代』である。ビジネスではそういうことが大切なのかもしれない。ロンドンの証券取引所に行くと、ロスチャイルドの柱というのが、いまでも残っているそうである。ウォータールーの戦いで、ナポレオンが勝ったか、連合軍が勝ったか。当時は情報の流れが遅かったが、ユダヤ人であるロスチャイルドは、他人より早く連合軍の勝利を知った。そこで英国国債を大量に売りに出す。ロスチャイルドが国債を売ったということは、連合軍の敗戦だ。そう周囲は判断して、大勢が国債を売りに出したから国債が暴落した。そこでもう一度それを買い占めたのがロスチャイルド本人である。その売買の指示を出していたときに、ロスチャイルドが寄りかかっていた柱が、ロスチャイルドの柱だというわけ。/科学ではどうかというなら、『新しい』ということは、十九世紀以来の科学では必須である。『それはだれかがすでに見つけたことだ。』そういうことに、科学は一切価値を認めない。私自身はそういう世界が嫌いだから、途中で降りてしまった。ビジネスもやったことがない。」(156−157ページ)

人よりほんの少しだけ早くある情報を入手したかどうかで大きな損得を競い合う世界には、ぼくもまったく興味がないばかりか、大きな嫌悪感を覚える。商売だけでなく、たとえば人がもっていない本や資料をもっているからそれで書ける「論文」を競い合うような研究なら、それもまたはなはだバカバカしく思える。自分が関わっている文学研究を例にとっても、人が読まない本を読む人たち(草稿研究や古い写本や歴史のアーカイヴに埋もれたすべて)を心から尊敬するものの、ぼく自身はむしろ誰でも買える文庫本の作品を読んで、その読みを深める方向の仕事をしたい。こうしたことは性格が決めるのだろうが、情報格差で自分の優位を確保するような姿勢は、なんの創造ももたらさないだろう。

梅田望夫さんと茂木健一郎さんの対話本『フューチャリスト宣言』(ちくま新書)は、ぜひみんなに読んでほしい名著だが、その中でおふたりがインターネットのinsanely great (狂ってるんじゃないかというくらいものすごい)性格について述べている一連の言葉が、特に印象に残った。情報は独占せず無償で人と共有すべきだ、というのがインターネットの基本思想。梅田さんは、インターネット世代の一部の若者たちについて、こういっている。

「彼らの世代には、情報の私有というものを悪だと思っている人が出てきていますよね。自分が隠匿しておくことに罪悪感を感じる。情報だけではなくて、モノをもたない、ということのほうが正しいと思っている人がいます」(161ページ)

衝撃的な、そして衝撃的なまでに正しい、態度だと思う。ある種のやみくもな利他主義こそ、インターネットという自己組織的な「現象」の最大の功績であり、これだけが「世界」に、これまでにありえなかったかたちでの共同性をもちこむことだろう。

いまディジタルメディアとディジタル情報を学ぶみんなにも、これだけはいいたい。人よりほんの少し早く何かを知っているからといって、それで儲けようと思うようなケチな人間にはならないでくれ。勝負を賭けるなら、だれでも知りうるものを素材として、だれも夢にも見なかったものを作り出すところで勝負してくれ。それこそ創造、それこそ発見。その発見が利己的な経済回路にふたたびくみこまれてゆくなら、そのときには大学もその役目を果たしていないということになるだろう。

この世界を少しでも住みやすいところにするという、大きな枠組での使命を。

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